ドイツでのワークショップ体験記 Part2
Rasata皆さま、こんにちは! ラサタです。
お元気で夏をお過ごしですか?
こちらミュンヘンは、8月に入ってから、やっと好天気に恵まれ、爽快な真夏日を楽しんだのもつかのま、何だかもうひんやりと秋の気配です。
さて、、春にお送りしたアヌブッダとアナーシャのテキスト”瞑想としてアルーンコンシャスタッチを体験する”の続きを翻訳しましたので、皆様にお届けします。
翻訳のパート1では、多くの方から感想を送って頂き、共に、気づきを分かちあえることをとても嬉しく感じました。
タッチと身体を通して、内なる生命と繋がることは、誰にとっても、日々を意識的に喜びに満ちて生きるための大きな助けになります。
前回は、主に、瞑想としてタッチを受け取るアートに関してでしたが、今回は、与える側としての意識と、タッチという現象とその可能性について、気づきを向け、体験の中に入っていくことを、アヌブッダとアナーシャが誘ってくれています。
御覧頂くことで、アルーンコンシャスタッチのエッセンスのいくらかを、ご一緒に体験できれば、嬉しいです!
ドイツにて
LOVE、 ラサタ
(2009年8月)
瞑想としてアルーンコンシャスタッチを体験する ーパート2-
by アヌブッダ & アナーシャ
コンシャスタッチを与えるアート
私は、和尚に150以上のセッションをしましたが、どの一つをとっても、とてもユニークなものでした。和尚にタッチしながら、私にとって何か、はっきりと意識的になるものがありました。
それは、私が和尚にタッチしている時、彼が私にタッチしている、ということです。 エネルギーやスピリチュアル的な意味あいだけで、そう言っているわけではありません。あきらかに、和尚が、私のハートや魂にタッチしているのです。
“ヒューマンタッチは、とても大きな主題である。”と、25年以上も私が言い続けているのを聞いたことがある人もいると思いますが、タッチの可能性や恩恵の全ては、“私”を超えたものなのです。
ともかく、あなた自身にこのことを、問いかけてみてください。あなたが、何かにタッチする時、同時にそれが、あなたに、タッチしてこないことが、ありますか?
この“タッチ”というまさに、その言葉は、常に“2つ”を伴います。私がタッチするどんなものも、その瞬間に、私に、タッチしています。一人だけが、タッチを与えていて、もう一人は、タッチを受けているとは、決して言えないのではないでしょうか?
そこで、私は、この気づきと共に、そこに潜在する影響力を知覚する実験を試みました。それは、大変興味深いものです。あなたが、何かにタッチしている時、それが、あなたにタッチしていることに気づいていると、あなたは、本当に耳を澄まして、瞬間、瞬間に起こることをゆるし、応答し始めるのです。
タッチは、手から身体の中へと、中心に向かって浸透して伝わり、そして、またあなたのエネルギーフィールドへと跳ね返って戻ります。例えば、あなたのタッチが、10キロの重みを加えた時と、10グラムの圧を加えた時とで、どのくらいのエネルギーが、返ってくるのか、その違いを示すグラフをきっと作ることができるでしょう。
相手の身体は、異なるタッチをあなたに返してくるので、あなたの知覚を使って、詳細に応答して触れるのを学ぶことができます。 全ての主要な“不随意のボディリズム”は、触れられます。それは、ヒューマンエネルギーフィールドの内側にある、心臓の鼓動や呼吸、脳脊髄液の波の“跳ね返ってくるタッチ”に、繊細になることを意味します。
あなたが、与えると同時に、受け取るとき、ヒーリングと瞑想の新しい変容のマジックを手にすることになります。それは、予測不可能で、努力のない、分かち合いの喜びです。
瞑想と慈悲を他者とシェアするのに、アルーンコンシャスタッチは、最善の方法になりえると思います。そこで得られる洞察と経験を思う時、私は、和尚に感謝し、彼を称賛するほかありません。
和尚、そして彼の何千ものクリエィティブな友人たちが、スピリチュアルヒューマンタッチと、ボディ(振動するエレクトロ・マグネティック・エネルギーフィールドとしての身体)、音楽、そして瞑想において、世界中に与えたポジティブな影響は、はかりきれないものです。
私にとって、タッチは、生命そのものを意味します。ヒューマンタッチは、とても大きな主題です。測り知れないほど、豊かで複合的で、多次元に渡り、その可能性と含まれる意味の大きさは、驚くばかりです。
タッチは、常に、“今この瞬間”にだけ、起こります。過去にでも、未来にでもなく。コンシャスタッチは、決してテクニックには成り得ないのです。それは、いつも今、ここ、に在り、同じタッチは、二つとして存在しません。 意識的なタッチ(と無意識なタッチ!)が、私たちのすべての感覚に、入ったり、出たりして、実際、手や足で触れる以上に、タッチしています。
英語の“being touched“(感動する、心に触れる、心を動かされる)という表現は、非常に意味深いです。普段、あまり意味を考えずに, touched by a person,touched by a experience, と、使っているかもしれません。
私たちの日常生活全体が、触れることと、触れられること、で成り立っています。 私たちの目は、見るものにタッチし、タッチされます。声や呼吸が、人にタッチし、私たち皆が、周りの音の振動にタッチされています。
食物が、タッチし、エネルギーを再生します。水、熱、冷たさが、タッチします。思考もタッチします。あなたの思考が、あなたのムード、筋肉、神経、心臓に影響し、ただちに、外側の人や物にも、タッチして影響を与えます。
恐れがタッチし、“愛”が、タッチします。このことに、瞑想してみてください。 なぜ、誰もが、アルーンコンシャスタッチに含まれ、シェアされている洞察や経験を、学び、身につけ、活用する必要があるのか、わかりますか?
この学びは、健全でクリエィティブな、喜びに満ちた人生に、本質的で、基本的なものです。 多くの理由から、意識的なタッチを通して起こることは、とほうもない価値と隠された錬金術の可能性があると感じます。
正しい教育として、どの人も、学び、役立てることができます。 人間の意識的な手とタッチは、全存在の中で、最も大いなる神秘と奇跡のひとつであるということが、しだいに、はっきりとわかってきます。
あなたが、人々や、動物、植物や、周りの物に触れるとき、どんな風にタッチしているのか、気づいたことが、ありますか? あなたの触れるものへの、意識や気持ちが、はっきりと、タッチにあらわれます。
人間の手は、内なる愛と気づきが、外側にあるものと、出会い、交流する場所です。私たちの個人的過去と、現在の心理は、“私たちの手の中”にあります。 通常、ほとんどの人が、ゆっくり時間をとって、手の中にある、生命の力を”内側から“深く感じ、気づきを向けることは、めったにありません。
もし、あなたが、そうするなら、それは、あなたの人生を変えることでしょう。 愛と気づきは、共にあなたの手を通って流れ、あなたが、どんな活動をするにしろ、いつも、喜びをもたらしてくれます。 このことを、覚えていてください。
どのタッチも、あなたの呼吸と同じで、一回起こったものは、2度全く同じには、繰り返されません。”このタッチ”を他のどのタッチとも比較しないように。比較すると、今現在を失います。一つ一つのタッチの中に、与えることと、受け取ることが存在します。
本当の意味で、瞑想的にタッチするには、判断しないでいること、 ”タタータ”ーあるがままを無条件に受け容れるという意味のブッダの言葉ーの質を携えている必要があります。 このことは、一般のボディワーカーには、ほとんど不可能かもしれません。
多くのシステムが、多かれ少なかれ、判断と分析に頼るように、あなたを訓練するからです。 タッチを、何かを変えるためでなく、”内側を観るため”に、用いてみてください。瞬間、瞬間に、恐れず、期待せずに、あなたの全ての感覚を使って、知覚のセンターをオープンに、研ぎ澄まして、一つ一つのタッチを感じていってください。
(Experiencing “ARUN Conscious Touch“ as a MeditationBy Anubuddha & Anasha)
ARUNコンシャスタッチ7月のトレーニングを終えて
Kamala丁度1週間前にトレーニング会場のラリータからゴールドの夕日をあびながらアンダルシアに帰宅しました。
トレーニングがあまりにも美しく静かだったためコンピューターを開くのにこれだけの時間がかかりました。
毎回トレーニングは多種多様で、いろいろなハプニングがありますが、今回のトレーニングは、アヌブッタもアナーシャも「one of the BEST」と言ったくらいスムースで、深く、静寂な日々でした。
全員で22人、5カ国以上の国々から参加者が集まり、様々なコンディショニングを越えて、解け合っていく感覚はタントリックで、涙と笑いを行ったり来たりしながら、日を重ねるごとに皆の顔が優しくほころんで、言葉が少なくなり、温かい澄んだ水中にいるような感覚になり、全員が1つとなって行きました。
タッチを通して身体が自由になり、それと同時にマインドが安らいでいく、瞑想を通して感覚が開き、理解が生まれ、起こることに「YES」と向かっていける私自身がいました。
私はありがたいことに、ヘルパーで入っていました。初日の自己紹介の時にヘルパー3人と聞かされたとき思わず「エー?!」と叫んでしまいました。「普段は8人くらいのヘルパーでやっているのに今回はたった3人?どうやってまわすの?」と思っていましたが、あれよあれよ。他のヘルパーのサティヤムとコンシャとのコンビネーションはすばらしかった! サティヤムのドイツ人コンディショニングのスーパーオーガナイズと、コンシャのスペイン人の情熱で、アヌブッタは私たちがお部屋の準備をしていると「うーん。今回のヘルパーたちは最高だねー。」とカリファルニアの気楽な乗りでハグをしながら音楽をかけてくれる。
シーツを洗うのも、椅子を片付けるのも、マッサージテーブルをセットするのも、何もストレスが無く、楽しく、まるでダンスをしている様で、ARUNマジックが起こっていました。
そしていつも頭が下がるのは、アヌブッタとアナーシャが、皆のために100%一緒に居てくれることです。
何も特別な存在でなく、皆と一緒に食事を楽しみ、皆と共に泣き、笑い、参加者だけではなく、会場になっているラリータのスタッフにまでセッションをしたり、ラリータに居る犬や猫にまでタッチをして、そして植物にまで細かな気づかいをし、太陽の光ように愛を降り注いでいました。
毎朝、新しく日が昇り、たとえ私たちが眠っていても、新しい朝がこの地球に訪れる。そして新たな生まれたての優しい太陽の光が私たちを、自然に照らしてくれる。これが、アルーン コンシャスタッチの意味でもあります。
「アヌブッタとアナーシャの存在は、アルーン コンシャスタッチそのものなのだなー。」
と感じた7月のトレーニングは「アルーン コンシャスタッチ 3つの内なる秘宝」と名付けられていました。
スペイン セビリアにて
With love Kamala
(2009年7月)
ドイツでのワークショップ体験記
Rasata月後半から5月にかけて、一ヶ月半ほどアヌブッダとアナーシャがドイツに滞在し、ワークショップやコースが開催されました。私も、南ドイツの美しい山々に囲まれたアルゴイ地方でのワークショップに参加してきました。たった3日間と思えない濃縮された時間の中から、心に深く残っていることをシェアしたいと思います。
国境(ボーデン湖)に近いこともあり、参加者の半分がスイス人、半分がドイツ人、と私の計24名。自己紹介をしていくうちに、多くがプロのボディワーカーであることがわかってくると、今回タッチのワークショップが初めての一人が、少し困惑した様子で質問した。「このグループは、ビギナーが参加してもいいんですか?」 アヌブッダが、「この中で、他にビギナーの人いますか?」と皆に尋ねる。すると全員がいっせいに手をあげた。
皆が過去の経験や知識を脇に置いて、今この瞬間の未知の中に入っていく用意がある。これこそアルーンのスピリット! いい始まりだと思った。
参加者の中の6人は、数年来のアルーンの友人で、会うたびに、それぞれの人生の経過をシェアしあうのが楽しみだ。スイス人のシアリは、70代から90代のお年寄り対象に、コンシャスタッチのクラスを始めた。一日座ってテレビを見ることしか楽しみのなかったお年寄りたちが、シンプルなタッチを分かち合い、からだを感じる喜びを体験できるその会を毎回楽しみに来てくれるそうだ。会社をやめて、セッションだけで生活を始めた友人たちや、治療院での仕事の苦労話など皆のアップ&ダウンや冒険物語に話が弾んだ。
このグループでは、タッチとともに、アルーンコンシャスタッチのエッセンスであるさまざまなテーマを深く掘り下げていった。 コンシャスタッチでは、ジャッジメント(マインドが下す判断、意見、批判)なしに、比較なしに触れることが基本にあるが、それは言葉でいうほど、簡単なことではない。タッチは、ハートフルなスペースや気づき、くつろぎ、親密さを分かちあうとても美しいものであると同時に、微妙に、私たちの無意識や条件付けも映し出す。自己批判や、相手へのジャッジメント、間違えることの恐れ、認められたい気持ち、期待、自分を証明しようとすること、などなど。それらに気づいていないと、タッチの喜びや効果を妨げ、中心を失い消耗する原因となる。
何故、私たちは、ジャッジするのか、ジャッジメントがもたらすものは、何なのか、というアヌブッダの静かだが気迫に満ちた問いかけに、誰もが真摯に自己を見つめ、意見を交わしあった。セッションのあいだ、たえず私たちに、自分のマインドのジャッジメントに意識的になること、内側を観ることを勇気づけ続けてくれた。
「私たちは、自分が誰かを知らないので、自分や相手をジャッジすることで、自分の場所、位置を定め、安心しようとするのです。」とアヌブッダは言う。
タッチという鏡に映し出されるものが何であれ、見守り続けると、非本質的なものが、どんどん剥がれ落ちていくようだった。 相手も自分も、そして起こっていることにも、あるがままへの信頼が広り、タッチがどんどん楽で自由になっていく。
また、アルーンでは、タッチのテクニックを学ぶだけでなく、テクニックを使う手のエネルギーに気づきを向け、その背後にある、私たちの在り方に意識を向ける。このグループでも、瞑想や呼吸、エクササイズで手の中に深く入り、手と、3つのセンター(ハート、ハラ、直感)が、つながってタッチをすることをガイドセッションで探っていった。
手のすみずみまで、意識がゆったりといっぱいに広がっていくと、余分な力がぬけて、自分と手がつながってくる。そして同時に身体の中に、くつろいで、しっかりと今ここに存在すればするほど、相手の身体をもっと感じて受け取ることができるのが、はっきり体験できた。それは、タッチを受けるときも同じだ。
「タッチを与える側も、同時にタッチを受け取っている。受動的か能動的かの違いだけで、タッチが起こるときは、両方の側がタッチを与え、受け取る。人だけでなく、椅子にすわっていても、坐骨と椅子のあいだにタッチが起こる。ベッドに横になれば、一番はっきり触れる仙骨や、背中や後頭骨などと、ベッドのあいだにタッチが起こる。」こんなあたりまえの言葉が、気づきを呼び、マジックを起こす。
セッションテーブルに横になり、まだパートナーの手が触れる前に、思い出したこの言葉にガイドされるように、重力による身体のベッドへのタッチと、押し返すベッドからのタッチの両方に自然に意識が向かった。すると突然、四方八方から、エネルギーが溢れてきて細胞が、生き生きと目覚め始めるのを感じた。ただ一人ベッドに横になっているだけで、こんなに興味深いなら、生きている人間のタッチを受けることの可能性は途方もないと思った。
セッションを交換するたびごとに、ジャッジメント、比較や期待なしに、シンプルに今ここにいることに繰り返し立ち戻った。意識的にならないともったいなくて、ひとつひとつのタッチを大切に喜びと感謝で与え、受け取ることができた。
「痛みを取除こうとするのではなく、この瞬間に、その人が自分で身体の内側を感じるために、タッチを使う 。相手を変えようとせず、私たちのBeloved Witnessing(親愛なる、観照する質) の効力を体験するには、たくさんの信頼が必要です。」
そんな言葉が、私たちをプレッシャーから解放し、目的志向になりがちなマインドから、今ここ、ただ在ること、見守ることに連れ戻す。アルーンのタッチは、静かに触れているものだけではない、動きがある、スピードもある。深層筋への深い圧を加えるタッチもある。行為の中で、無為を学ぶ禅の道だと思う。
最後のセッションで、ミュンヘンから来た今回タッチが全く初めてだった男性と組んだ。誰もがその人のままで受け容れられているグループのリラックスした雰囲気の中で、彼のタッチは、のびのびとした存在感と繊細で優しい思いやりに満ちていた。正直驚くほど満足のいくセッションだった。テクニックに生命を与えるものは、使う人間の意識と愛だとつくづく感じた。
「アルーンコンシャスタッチは、過去、現在、未来のブッダからの贈り物です。いにしえの時代から脈々と受け継がれ続けるヒューマンタッチの創造性と意識の進化に捧げられています。
コンシャスタッチはセッションに限りません。お皿を拭くとき、木に触れるとき、動物に触れるとき、そのタッチに気づき、同時に触れているものから受けるタッチに気づく。手だけでなく、自分の息が出入りする時に起こる内なるタッチ、言葉や目、存在のタッチに意識的になることで実践できます。
ここにいる皆さんにも、それぞれの生活の中で、このサンガに参加することを歓迎します。」
この言葉でグループは終わり、みんなで踊り生命の喜びを祝った。身体も心も溶けて、ひとつの海のうねりの中に還っていくような一体感だった。
たくさんのギフトに満ちていて、表現しきれませんが、この辺で、終わりにします。
このあと、9日間のボディワーカーズトレーニングが引き続いてありました。それは、またいつか別の機会に!最後まで読んで頂いてありがとうございました。
LOVE ラサタ
(2009年6月)

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