arun.jp-about


世界の人々に愛され続けるアルーンコンシャスタッチ。
国内で開催されるイベントを中心に皆様へお届けいたします。

HOME > about


身体、内側への扉
(ドイツ版和尚タイムズ2010年2月号掲載, ドイツ人女性ヴィラによる記事)

皆さん、こんにちは。

ご無沙汰していますが、お元気でお過ごしですか?
春爛漫のゴールデンウィークをきっと楽しまれたことでしょう。

こちらミュンヘンも、木々がぐんぐん若葉を伸ばして、気持ちのよい爽やかな新緑の季節になりました。

今年もナビーンと一緒に、アヌブッダとアナーシャを11月日本に招待し、アルーンの半日イベント、2ディズグループ、ベーシック&アドバンスコースを予定しています。

皆さんとアルーンのエネルギーフィールドでお会いできるのを、とても楽しみにしています。

アヌブッダとアナーシャは今ちょうど、1ヶ月ほど、ドイツに滞在中です。今年から2年に渡る全部で40日間のアルーントレーニングコースが、ケルンにあるヨーロッパで最大の和尚セラピーインスティテュートの一つ、ウタ瞑想センターで始まりました。
そしていよいよ5月8日~16日は、毎年恒例のボディワーカーのためのアドバンスコースがあり、私も参加してきます。

ところで、ドイツ版和尚タイムズという月刊誌2月号に、アヌブッダとアナーシャを取材した記事が掲載されましたので、皆さんにもシェアしたく日本語に翻訳しました。

少し長いですが、彼らの個人的ヒストリーや身体に関する和尚のビジョンなど、アルーンの真髄に触れる、とても興味深い内容です。

どうぞ、ごゆっくり、楽しんで頂ければ嬉しいです。

LOVE,ラサタ

身体、内側への扉(ドイツ版和尚タイムズ2010年2月号掲載, ドイツ人女性ヴィラによる記事)

アヌブッダとアナーシャは35年以上も、タッチのアートとマジックの探求に捧げています。
インド、日本、タイ、ヨーロッパやアメリカ等の国々で、彼らの智慧と情熱を他の人々に分かち合ってきました。
アヌブッダは和尚の個人的な指導の元、ディレクターとして和尚ヒーリングアカデミーを立ち上げ、和尚ネオ・ヨガや、ハラ・アウェアネスを構想し、和尚リバランシングやや和尚クラニオサクラル・バランシングの共同による設立と、その発展に貢献してきました。

アルーンコンシャスタッチは、総合的ボディワーク、ブレスワーク、そして瞑想を、独自に統合した身体、精神、感情への気づきを開花させていくためのものです。

私は、南スペインのとても素晴らしい山の中で、アヌブッダとアナーシャに出会いました。
ちょうど2週間に渡るトレーニングコースが、終わったところでした。そこでの目一杯インテンシブなグループプログラムや、残暑の厳しさにもかかわらず、二人はすっきりとして、とてもエネルギッシュに、ユーモアに溢れて、私に注意を向けてくれました。
私たちは、美しい風景の静寂に満たされた彼らの小さな部屋に一緒に座り、お茶を飲みながら、彼らの生涯のプロジェクトである、アルーンコンシャスタッチ(意識的なタッチ)について、語ってくれました。

アルーンとは、サンスクリット語で“夜明けの光”を意味します。 スペイン語では、“宇宙の調和” を表す “ARmonia”と“UNiversal”の二つの単語を組み合わせたものです。
それは、この人気ある両リーダーが、まさにここでやろうとしていることです。
意識の光と繊細さを身体に向けること、それによって人生のあらゆる領域で、調和、健康と活力が体験されうるのです。

二人と共に過ごすと、彼らの教えていること、つまり瞑想への愛やタッチの探求にかける喜び、そして人々と心からの出会うことを、彼ら自身が誠実に生きているのが、すぐにわかります。

アヌブッダ:
どこからアルーンが始まり、発展してきたのかを理解するためには、2人が出会う前に遡り、アヌブッダとアナーシャそれぞれの人生を、少し振り返ってみる必要があります。
アヌブッダは、スポーツや彼の身体を動かすことを、常に愛してきました。
カルフォルニア育ちの彼は、サーフィンが大好きで、サンディエゴ大学ではスポーツを学び、バスケット選手でもありました。
東洋からアメリカに伝わったばかりのヨガに出会ったのは、1972年のことです。
ヨガのポーズが彼を内側に導き、また同時に彼のスポーツの助けにもなると感じました。
東洋の人生の智慧への興味が、彼の中で目覚めました。

当時まだバグワン・シュリ・ラジニーシと呼ばれていた和尚のことを耳にしたのは、そのヨガの先生であるサニヤシンからでした。 
1975年に初めて和尚の講話を聴き、アクティブ瞑想について知り、好んで実践しました。

彼はこう話しています。
「身体に関しての和尚のビジョンは、感動以上の衝撃でした。
情熱的なスポーツ選手として、動きの只中にいる時も、瞑想が起こりえるということは、私にとっては、ひとつの天からの啓示のようなものでした。新しい次元の扉が一つ開きました。」 

当時彼は、不動産の仲介人として生活の糧を得ていました。 大きな土地を一つ買いたいという数人のサニヤシン達が、彼のところにやって来ました。そこでアヌブッダは、ロサンジェルス郊外の荒野にある土地を斡旋しました。そこは後に、『ギータム』と呼ばれる、70年代のアメリカで最も大きな和尚瞑想センターになったのです。 
その一ヶ月後、彼は和尚本人に会うために、ついにインドに立ちました。

プーナに到着すると、彼は直ちにボディワークの広大な世界に、飛び込みました。
「タッチのアートにおける多様性が気に入ったのです。ロルフィング、ポステュラル・インテグレーション、トレガーやフェルデンクライスのワークや、エナジーワークなど、私は全てを学びたいと思いました。
まさに正しい時に、正しい場所にいて、100パーセント充実していました!」

3ヵ月後、彼はアメリカに帰り、ギータムでマッサージを始めました。
セッションの中で、タッチを通して彼自身もクライアントと一緒に、瞑想を深めることが、いかに可能であるかの味わいを得ました。

それから2年後、彼は再びインドに戻り、数え切れないほどのセッションを与え、同時に学び続けました。
さらに多くのボディセラピストたちが、押し寄せるようにプーナを訪れ、そこに一つのボディワーク実験場のようなものが出来上がったのです。 
より多くのボディワークスタイルが、お互いに混ざり合い、タッチの分野における新しい展望がまさに生まれようとしていました。

1979年、アヌブッダは和尚に尋ねました。「私たちのボディワークに、新しい名前をつけることはできますか?」和尚の答えはこうでした。
「アヌブッダ、少し待ちなさい。それはやってくる。」

9ヶ月後、名前が来ました。 
ラジニーシ・リバランシングが誕生したのです。アヌブッダに、ティチャーの一人になるようにとのこと。
そして、肉体的、感情的痛みを癒すだけでなく、タッチを通してスピリチュアルな成長をサポートすることが、何よりも第一にくるべきだと言われました。

アヌブッダ「このことは、当時和尚の所に来た、コミューンにいる全ての人々においても、最も主要なことでした。それは、心の満ち足りた豊かなフィールドでした。」

リバランシングには、ディープなタッチと同様にソフトなタッチも統合され、そこでは自分自身の身体を受け容れ、意識を向けることが、何よりも重要なことでした。
瞑想こそが、内側に向かい自分自身の身体を探求するための鍵なのです。
和尚が肉体を離れたその日まで、アヌブッダはリバランシングの現場で、1500人以上のリバランサーを養成し、約一万回の個人セッションを与えました。
1985年、彼はアナーシャと出会い、彼女が人にタッチをしている時の、とても美しい静寂に満ちた存在感に恋に落ちました。

アナーシャ:
アナーシャは、常に彼女独自の個性的な道に従って歩んできました。
フランス人の彼女は、すでに少女の頃から沈黙に魅かれるのを感じ、彼女が完全に溶け去ることのできる自然の真ん中にいるのが、一番好きでした。

学校教育は、彼女にとって意味がなく、代わりになる学びの道を探していました。
彼女は、早々に学校を去り、前衛的な芝居興行の劇団を結成しました。ある劇団の団長であり、後にフランスの文化大臣になったシャック・ラングが、彼女にアルタナティブの世界が遥かに活発なベルリンに行くように薦めました。

彼女は旅立ち、そこで、動きと意識とエネルギーに関する多くのグループに参加しました。
「身体と意識!これは常に、私がとても愛するもの。」とアナーシャは言います。
彼女は、ベルリン・ブレス・インスティテュートに通い、イルザ・ミッデンドルフによるトレーニングコースを始めました。同時期にビパサナ瞑想にも出会いました。 それはアナーシャにとって、比類のない素晴らしい組み合わせとなりました。 

彼女はこう語ります。
「そこで、私は一日中静かに座り、呼吸と共に私の内側の世界を観照することができたの。それは、何という純粋な楽しみだったでしょう。只々驚くばかり! ビパサナは私の呼吸への認識と尊敬の念を深めてくれたわ。どんな学校教育も、私に教えてくれなかったことよ。」

彼女は、小さなセッションルームを持ち、日々呼吸のセッションを与え、呼吸のグループワークを行いました。 

「そのインスティテュートには、マントラ(繰り返し唱える真言)があり、それは当時も今もこうよ。

“呼吸が入るにまかせなさい。呼吸が、出ていくにまかせなさい。
そして、自ずから、また戻って来るまで待ちなさい。” 

つまり自分が介入せずに、常に呼吸が起こりたいように、その動きがやってくるのをまかせるということ。どの一息も、この瞬間に自分を明け渡し、それに敬意を向けるチャンス
なの。本当にシンプルで、とっても自然なことよ。 

1973年に、ある人が私に、和尚瞑想を教えてくれたわ。そして私はダイナミック瞑想の熱烈なとりこになったの。」

アルーンが、人生に現れる

アナーシャは、和尚に夢中になり、ランチ(オレゴンの和尚コミューン)を訪れ、そこに留まりました。そしてアヌブッダと出会い、彼らはカップルになりました。
その後にプーナ2の時代、コミューンのとてもクリエィティヴな時期が始まったのです。

和尚の身体は、毒を盛られた影響で、苦しめられていました。
アヌブッダは、和尚にセッションを開始し、そこで彼は、ほとんど毎日のように、和尚に身体に関しての質問をしたり、和尚からの自発的なヒーリングの観点へのコメントを聴く機会を得ました。

アヌブッダは言います。
「何という恩寵でしょう! 和尚の手に触れることは、まるで神聖な領域に触れるようです。それにもかかわらず、彼は全く質素で、ごく当たり前の普通の人でした。まさに、これらのセッションが、言わばアルーンの出発点となりました。」

「和尚は、一つのタッチのスタイルだけでは、満足しませんでした。ある日は、クラニオサクラル療法を希望し、翌日には深いマッサージを、また別の日には腰を揺らしたり、あるいはエネルギーラインにタッチしたりという具合です。彼は、骨や、筋肉、体液などのエネルギーフィールドを見つめ、そこに呼吸が通っていくことを望みました。彼の痛みとは反対に(痛みは、非常に強かったに違いありませんが)、彼は完全にリラックスしていました。 私にとって、それは途方もない感動的な体験になりました。和尚とのワークで、痛み、ヒーリングとタッチにおける私の全ての観念が、根本的に変わってしまいました。タッチがひとつのシステムの中で制限されたり、身体の一つの部分が別の部分と分離されてはいけないということを理解しました。」

「和尚は、私に言いました。“アヌブッダ、 身体を愛すること、身体を思いやること、身体の神秘に深く入っていくことを、あなた方に教えないような教育は、あなた方の意識がさらに先に進むこともまた、教えることはできない。身体は扉だ。身体はあなたを導くステップストーンだ。身体と意識のつながりを無視するような教育は、不十分などというものではなく、その弊害ははかりしれないゆえに、全くもって、破壊的だ。あなた方の内側で、意識が開花することだけが、唯一あなた方をその被害から守ることができるのだ。そして同時に、あなた方を途方もない創造性へと、突き動かしてくれるだろうーそれは、この世界に、より多くの美をもたらすだろう。この世界に、より多くの心地よさと喜びをもたらすだろう。“」

人々に、身体との慈しみに満ちた付き合い方を教えることを、第一の関心事にしなければならないと、和尚はアヌブッダに教示を与えました。
アヌブッダとアナーシャは、このことを心得ました。
「そう、これよ! このことが、まさに一番肝心なポイントよ!!」
こうして、アルーンコンシャスタッチのプロジェクトが生まれました。

彼らは、共にトレーニングを作り上げていきました。その中には、ボディワークのそれぞれの形式が含まれています。(彼らにとって、アルーンはワーク(仕事)ではないので、ワークという言葉を使うこと自体に、支障がありますが。)
テクニックに関しては、全くオープンです。彼らにとって、最も大切なことは、内側からその人が、自分の身体を感じ、意識をさらに広げることができるように、そしてそれを通して、自分自身へのより多くの理解と愛を見出すことができるように、タッチするということです。

アナーシャ:
「アルーンでは、判断したり、分析したり、比較したりしません。身体に、愛に満ちたプレゼンス(臨在感)をもたらして、その瞬間に起こることを、シンプルに知覚するの。今ここに、あなたをつなげるツールが呼吸よ。瞑想は目的地ではなく、私たちがタッチを練習するまさに、その土壌なの。」

アヌブッダ:
「私は、どんな人とも、その人を治すという約束はしません。多くのテクニックが、ーリバランシングもそうなのですが、システムになっていて、緊張を軽減するためのマニュアルがあるとさえ言えます。しかし、私はそのようにはしませんし、一度もそれが好きだったことはありません。緊張や、まして痛みがそこにあるなら、それも受け容れて、無理やり変えようとしたり、なくそうとはしません。レットゴー(手放すこと)は、常にくつろぎを通して起こります。そして、そのくつろぎを私たちが、サポートすることができます。私のクライアントは、私にとってクライアントではなく、セッションの間一つの旅を共にする友人なのです。その間、私は消耗したり、疲れたり、退屈することは、決してありません。ですから、本当にたくさんのセッションを行っています。私は、一人一人のエネルギーフィールドの中にできる限り深く潜り、できるだけ多くの経験を積み、私自身の意識と愛を広げていきたいと思っています。それが、私に非常に大きな満足感を与えてくれるのです。」

あなたの身体を愛しなさい

アヌブッダと彼の人生のパートナーであるアナーシャにとって、アルーンは、“意識的なタッチのトレーニング”という以上のものです。それは、ひとつの生き方であり、身体に、いかに賢く栄養を与え、酸素を取り入れ、身体を動かし、心をこめて身体の世話をし、清潔を維持するかといった、日常の中での身体との付き合い方を、じっくりと吟味することでもあります。

自分のエネルギーや心に気に掛かっていることを、どのように、ケアするかが、問われます。それゆえに、アルーンは、他者にボディワークをするというだけでなく、どの人も自分自身と他者に、どれだけ深い次元まで触れることができるかが、主要なテーマになります。

アヌブッダ:
「“あなたの身体を愛しなさい”という、和尚のメッセージは、彼の生きた時代には、とんでもなく過激なものでした。そして今日においては、まさに目下の課題なのです。どれだけ多くの人々が不幸に感じ、自分の身体とのコンタクトを失っていることでしょうか。瞑想と愛こそが、今現在の世界で最も必要とされていること、おそらく他の何よりも、緊急を要するものでしょう。私たちが、その一部の幾らかを担うことができればと願っています。」

アルーンの旅は、すでに長く続いています。
そして、アヌブッダとアナーシャにとって、その旅に終わりはないでしょう。
彼らの身体と呼吸がある限り。。
まだまだ、たくさんの神秘が発見されるのを待っているのですから!

Der Koerper, eine Tuer nach innen von Vira(OSHOTIMES-Deutsche Ausgabe Feb.2010)

アルーンコンシャスタッチとは

アルーンコンシャスタッチのスピリットは瞑想です。シンプルに愛をもって内側を観るアプローチをタッチ(ふれること)と身体を使って学んでいきます。

コンシャスタッチでは、身体から痛みを取り去ろうとしたり、緊張や不定的な考えを変えようと努力することはありません。
ただ、今ここにいて、ふれること・ふれられることを深く許し、生命(身体・感情・思考・魂)が内側で動いていることをあるがままに体験し、観照します。

私達は、タッチとそのテクニックを“今ここ”に焦点をあわせ、“内側を観る”ことをサポートする愛の表現として分かちあいます。あなたの手をとおして、“相互作用的な瞑想”の感覚、より繊細な親密さを楽しむことが始まるでしょう。また、ボディワーカーだけでなく、あらゆるコミュニケーションに、新しい次元が開くでしょう。

コンシャスタッチでは、これまでに優れたボディワーカーによって創案されてきた様々なテクニックと生命への理解を柔軟に統合しています。と同時に焦点は、それらを内なる意識の広がりを助けるものとして使うことにあります。深刻さなしに・・・

あなたが、医師、セラピスト、ボディワーカー等のエキスパートであれば、新しいインスピレーションやテクニックを得るだけでなく、身体やタッチに対する理解が完全に変わるでしょう。また、ボディワークの初心者には、独創的でユーモアに満ち、自在無碍なトレーニングが最良の機会になるはずです。

瞑想としてアルーンコンシャスタッチを体験する ーパート1-
by アヌブッダ & アナーシャ

-コンシャスタッチを受けるアート-
まず、セッションテーブルに横になっているとき、ギバーに対してどんなフィードバックも(聞かれない限り)与えようとしないこと。もっと違うようにタッチしてほしいと、考えることすらしない。
今受けているこのタッチと、これまで受けたことのあるタッチを比較しない, 判断しない、そして起こっていること以外のものを欲しない。難しいですか? けれど不可能なことではありません。

期待、欲望、幻想、そして恐れを手放して、この瞬間に興味を持つこと。
あなたの人生のまさにこの瞬間、ボディマインドの内側で、シンプルにタッチを使って、今、この現在にいることができます。

タッチを通して起こるあらゆる感覚、思考、肉体の構造に気づき、何かを変えようとせず、あなた自身とともにいる。
瞑想として、内側を見ることの本来の可能性と美しさを味わうことができます。
もし、どこかにある緊張に気づくことになれば、それは素晴らしい。

判断せず、分析せず、それから逃げないように。あなたの身体について後ろめたさを感じたり、自意識を持ちすぎることで、時間を無駄にしないように。
もし、気持ちよいなら、それも素晴らしい。起こるにまかせて。
すべての感覚や思考(良い、悪い、退屈、そしてその中間のすべて)は、かなり、一時的なもので、自然に、次の感覚、次の思考へと移り変わり、流れていくものです。

見続け、呼吸し、油断なく、あなた自身、あなたの身体に関して新しい洞察を発見し、内側に息づく生命に近づくために、タッチを使う。
この瞬間にとどまることができるとき、多くのポジティブな洞察とヒーリングの恩恵がもたらされます。

与える人を、あるいは、受けている人を、判断したり、批評しないことを学ぶ必要性を主張するには、多くの理由があります。あらゆるブッダたち、光明を得た人々は、“あるがままを全面的に受け容れること“、仏陀の言葉でいえば、“タタータ“のエネルギーのもつ効力を強調します。それは単に非物質的なエネルギーとしての概念や、教えとしてだけではなく、現実として、明らかに影響力があります。

この気づきにいかにアクセスして、活用するかを学ぶのは、私たち次第です。
もし、タッチを与えている人が、あなたから、ジャッジされているのを感じると、あるいは、微妙にでも、相手がしていることにオープンでいないでいると、相手のタッチの能力は著しく影響されます。相手は、どう思われているかをもっと気にし、流れを失い、クリエイティビティが抑えられ、マインドから動くようになります。
セッションは、より機械的になり, 時には、無意識に怒り、消耗し、インスピレーションに欠けることが起こりえます。

一方、信頼されている、受け容れられている、感謝されている、クリエイティブでいること
を励まされていると感じると、直感的なエネルギーが流れて、あなたの手は、適切に、予測なしに自発的に身体に応答して動いていきます。 相手が、あなたのタッチにオープンで、受容的でいる時、与えることで、エネルギーを受け取ります。

私は、1988年 プーナで、初めて和尚にセッションをした時のことを思い出します。 
私が呼ばれたのは、和尚の足がとても不安定で、腰椎のあたりに痛みを感じるということででした。彼は肉体全体がローエネルギーで、疲れていて、少しつながっていないと感じていました。背骨から、両足への流れを助けるいくつかのいいアイディアがありましたが、彼の身体が私のタッチにどのように、反応するかは、定かでありませんでした。

タッチを始めるときに、和尚の主治医とケアテイカーの両方から、彼の身体がいかに繊細であるか、気づきをもって行うように、注意を促されました。
私は当時すでに12年間途切れることなく和尚とともに生活していたので、そのことは、充
分わかっていましたが、それでも念を押して言われる必要があるほどでした。

彼に触れる前に、すでに、彼の身体の波動が、いかにユニークで繊細かは、とても明らかでした。それなので、ゆっくりと腰から骨盤のあたりを、とても繊細に揺らし、まわるく回転するように動かし始めました。彼のボディはレットゴーされ、動くにまかせていました。 私はタッチをするとき、目を閉じることが多いのですが、そのときも閉じていた目をふと開けると、和尚のケアティカーの一人が、非常に懸念そうな顔で伺っているのに気づきました。おそらく、外から見ると、和尚の腰の筋肉が押さえられた状態で、彼の繊細な体が、揺らされるのは、奇妙であったかもしれません。

ある種の目つきが、エネルギーの流れを止めてしまうことがあるのを、誰でも知っていると思いますが、私も、もちろん、注意は、主に和尚に向けられてはいましたが、少し気がそらされました。その時点までセッションの間中(実際5分ほどでしたが)和尚の目は閉じて、身体は、リラックスし、呼吸はとてもオープンで穏やかでした。まさにその瞬間、和尚は、静かに目を開け、彼のケアティカーの方を見て、とても優しく、はっきりと、言いました。

“アヌブッダに、彼の仕事をさせてあげなさい“。そして、愛に満ちて微笑み、再び目を閉じ
ました。このことが、私に与えた影響を、決して忘れることはないでしょう。

私は、彼の信頼、オープンさ、タッチとともに探ろうとする意欲を感じました。
私は、和尚にタッチし、話をし、耳を傾け、彼を見るときに、比較も期待もなく、決して、プレッシャーを感じたことがありません。それは、とてもリラックスしていて、インスピレーションに溢れ、自然なことでした。私は、受け容れること、わからないままでいることの、隠された変容の力を感じました。

この受け容れること、判断しない、比較しない、期待しない、プレッシャーを自分にかけな
いという原理は、セッションギバーにもあてはまります。自分でそれを経験したことのない
人に証明するのは、難しいですが、指の下に触れているものを判断したり、批判している時、タッチの質と触れているものへのタッチの浸透性は、変わります。期待と欲もまた、タッチの可能性を妨げます。判断することが、決して助けにならないとは言いません。 あらゆる診断や分析が必ずしも瞑想のスピリットに反するものだとは言いません。ここで私が表現しようとしているのは、そこに、非常に微妙で繊細な違いがあるということです。

テーブルに横になっている人が、あなたの愛を感じるとき、あなたが、あるがままのその人に価値を感じているとき、内側を観るのを助けるために、タッチを“光“として、“鏡“として用いているとき、そして、相手を変えようとすることなく、どんなふうにも、操ろうとしていないとき、相手のエネルギーフィールドは、本質的な深いレベルで、シンプルにオープンになります。 

私は、非常に技術のある人々からセッションを受けたことがありますが、私の身体に問題があり、滞っている、閉じている、これではだめだ、OKでないと、何らかの判断の思考を
感じざるえなかった時には、彼らは素晴らしい経験と理論を持っていながら、その効果
は、あまり私に届くものではありませんでした。

反対に、受け容れられ、どんなふうにも、自分の身体をとがめないよう、恥じることのないよう、迎えられて触れられたセッションは、いつも思い出す大切な贈り物であり、癒しに満たされた結果がともないます。

愛に満ち、技術に優れて、瞑想的に触れられるというのは、とほうもなく、美しいものです。

瞑想としてアルーンコンシャスタッチを体験する ーパート2-
by アヌブッダ & アナーシャ

-コンシャスタッチを与えるアート-
私は、和尚に150以上のセッションをしましたが、どの一つをとっても、とてもユニークなものでした。和尚にタッチしながら、私にとって何か、はっきりと意識的になるものがありました。

それは、私が和尚にタッチしている時、彼が私にタッチしている、ということです。 エネルギーやスピリチュアル的な意味あいだけで、そう言っているわけではありません。あきらかに、和尚が、私のハートや魂にタッチしているのです。

“ヒューマンタッチは、とても大きな主題である。”と、25年以上も私が言い続けているのを聞いたことがある人もいると思いますが、タッチの可能性や恩恵の全ては、“私”を超えたものなのです。

ともかく、あなた自身にこのことを、問いかけてみてください。あなたが、何かにタッチする時、同時にそれが、あなたに、タッチしてこないことが、ありますか?
この“タッチ”というまさに、その言葉は、常に“2つ”を伴います。私がタッチするどんなものも、その瞬間に、私に、タッチしています。一人だけが、タッチを与えていて、もう一人は、タッチを受けているとは、決して言えないのではないでしょうか?

そこで、私は、この気づきと共に、そこに潜在する影響力を知覚する実験を試みました。それは、大変興味深いものです。あなたが、何かにタッチしている時、それが、あなたにタッチしていることに気づいていると、あなたは、本当に耳を澄まして、瞬間、瞬間に起こることをゆるし、応答し始めるのです。

タッチは、手から身体の中へと、中心に向かって浸透して伝わり、そして、またあなたのエネルギーフィールドへと跳ね返って戻ります。例えば、あなたのタッチが、10キロの重みを加えた時と、10グラムの圧を加えた時とで、どのくらいのエネルギーが、返ってくるのか、その違いを示すグラフをきっと作ることができるでしょう。

相手の身体は、異なるタッチをあなたに返してくるので、あなたの知覚を使って、詳細に応答して触れるのを学ぶことができます。 全ての主要な“不随意のボディリズム”は、触れられます。それは、ヒューマンエネルギーフィールドの内側にある、心臓の鼓動や呼吸、脳脊髄液の波の“跳ね返ってくるタッチ”に、繊細になることを意味します。

あなたが、与えると同時に、受け取るとき、ヒーリングと瞑想の新しい変容のマジックを手にすることになります。それは、予測不可能で、努力のない、分かち合いの喜びです。

瞑想と慈悲を他者とシェアするのに、アルーンコンシャスタッチは、最善の方法になりえると思います。そこで得られる洞察と経験を思う時、私は、和尚に感謝し、彼を称賛するほかありません。

和尚、そして彼の何千ものクリエィティブな友人たちが、スピリチュアルヒューマンタッチと、ボディ(振動するエレクトロ・マグネティック・エネルギーフィールドとしての身体)、音楽、そして瞑想において、世界中に与えたポジティブな影響は、はかりきれないものです。

私にとって、タッチは、生命そのものを意味します。ヒューマンタッチは、とても大きな主題です。測り知れないほど、豊かで複合的で、多次元に渡り、その可能性と含まれる意味の大きさは、驚くばかりです。

タッチは、常に、“今この瞬間”にだけ、起こります。過去にでも、未来にでもなく。コンシャスタッチは、決してテクニックには成り得ないのです。それは、いつも今、ここ、に在り、同じタッチは、二つとして存在しません。 意識的なタッチ(と無意識なタッチ!)が、私たちのすべての感覚に、入ったり、出たりして、実際、手や足で触れる以上に、タッチしています。

英語の“being touched“(感動する、心に触れる、心を動かされる)という表現は、非常に意味深いです。普段、あまり意味を考えずに, touched by a person,touched by a experience, と、使っているかもしれません。

私たちの日常生活全体が、触れることと、触れられること、で成り立っています。 私たちの目は、見るものにタッチし、タッチされます。声や呼吸が、人にタッチし、私たち皆が、周りの音の振動にタッチされています。

食物が、タッチし、エネルギーを再生します。水、熱、冷たさが、タッチします。思考もタッチします。あなたの思考が、あなたのムード、筋肉、神経、心臓に影響し、ただちに、外側の人や物にも、タッチして影響を与えます。

恐れがタッチし、“愛”が、タッチします。このことに、瞑想してみてください。 なぜ、誰もが、アルーンコンシャスタッチに含まれ、シェアされている洞察や経験を、学び、身につけ、活用する必要があるのか、わかりますか?

この学びは、健全でクリエィティブな、喜びに満ちた人生に、本質的で、基本的なものです。 多くの理由から、意識的なタッチを通して起こることは、とほうもない価値と隠された錬金術の可能性があると感じます。

正しい教育として、どの人も、学び、役立てることができます。 人間の意識的な手とタッチは、全存在の中で、最も大いなる神秘と奇跡のひとつであるということが、しだいに、はっきりとわかってきます。

あなたが、人々や、動物、植物や、周りの物に触れるとき、どんな風にタッチしているのか、気づいたことが、ありますか?  あなたの触れるものへの、意識や気持ちが、はっきりと、タッチにあらわれます。

人間の手は、内なる愛と気づきが、外側にあるものと、出会い、交流する場所です。私たちの個人的過去と、現在の心理は、“私たちの手の中”にあります。 通常、ほとんどの人が、ゆっくり時間をとって、手の中にある、生命の力を”内側から“深く感じ、気づきを向けることは、めったにありません。

もし、あなたが、そうするなら、それは、あなたの人生を変えることでしょう。 愛と気づきは、共にあなたの手を通って流れ、あなたが、どんな活動をするにしろ、いつも、喜びをもたらしてくれます。 このことを、覚えていてください。

どのタッチも、あなたの呼吸と同じで、一回起こったものは、2度全く同じには、繰り返されません。”このタッチ”を他のどのタッチとも比較しないように。比較すると、今現在を失います。一つ一つのタッチの中に、与えることと、受け取ることが存在します。

本当の意味で、瞑想的にタッチするには、判断しないでいること、 ”タタータ”ーあるがままを無条件に受け容れるという意味のブッダの言葉ーの質を携えている必要があります。 このことは、一般のボディワーカーには、ほとんど不可能かもしれません。

多くのシステムが、多かれ少なかれ、判断と分析に頼るように、あなたを訓練するからです。 タッチを、何かを変えるためでなく、”内側を観るため”に、用いてみてください。瞬間、瞬間に、恐れず、期待せずに、あなたの全ての感覚を使って、知覚のセンターをオープンに、研ぎ澄まして、一つ一つのタッチを感じていってください。

プレム・アヌブッダに聞く
『あるがままの この瞬間にいて、信頼する。』

自分が正しい道の上にいるか、どうしたら信頼することができますか?

アヌヌッダ:
それは、ほとんどの探求者が必ず1度は直面する課題だと思います。私たちは、スピリットの成長と理解を深めたいと思っていますが、実際は、自分は正しくないと感じ、自分自身を疑い、その結果、自分を助けてくれる他の誰かを探して、内心ほっとするわけです。
しかし、それは少しユーモラスです。というのも唯一リラックスする方法は、自分自身を信頼することだからです。深く、自分自身のフィーリングを信頼するとき、ボディ、マインと、ハートがリラックスします。しかし、誰か他の人が自分に答えをくれるのではないかと、誰もが自分の外側を見ています。幼少期から私たちは、自分を信頼するようには勇気づけられてはいません。自分にとって何が正しいのかを他人に聞かなくてはならないのです。何年もスピリチュアルな道を歩んで人でさえ、何を食べるべきか、どんなエクササイズが良いか、自分にあった瞑想法は何なのか聞いたりします。教育システム全体によって、内なる英知を放棄してしまうようプログラムされてしまったと言えます。

自分を愛するだけで十分

リラクセーションは、唯一個々の人の英知とともにあることから起こるというのに、ほとんどのアプローチはそれをあなたに与えようとしません。これは、とても複雑な課題といえますが、それぞれのテクニックがビジネスになっているからです。もし、私があなたに、ただ自分を愛するだけで十分ですと言ったら、あなたは私を必要としなくなる。あなたが私の言うことを聞けば聞くほど、私のビジネスはうまくいくわけです。雑誌を読んで、ある記事はこれをしたら良いと言い、別の人はあれがよいと言う。しばらくの間は、それを試してみる。ほとんど子どものように。子どもは新しいおもちゃをそれがどうしても必要なものだと言って手にいれ、最初の三時間ぐらいはすごく興奮するけれども、二、三日するとそのおもちゃにあきてしまう。

多くの人が、身体は大人になってビジネスの世界ではとても重要な仕事をしていたとしても、受けてきた教育のために、内なる自己の世界ではとても未熟な子どものままにとどまっています。そして、内側に疑いをつくり出すことを誰でも、簡単に、あなたに言うことができます。そして、どこが悪いのか、何をしたらいいのかを誰かに言ってもらいたいのです。

それぞれの人が答えを内側にもっている

最初は、私もすべてのテクニックに、結局いつかは退屈してしまうことになるということがわかりませんでした。あるテクニックが私の問題を解決してくれるに違いないと思っていました。しかし、もはや私が答えを知っているといって、人々が依存するようなことはしたくありません。それぞれの人が答えを内側にもっているし、私にとって正しいことが、必ずしも、あなたに正しいとは言えないからです。言えることは、あなたが、ボディ、マインド、感情、スピリットの統合体であることを自分で認識し、自分自身を知り、観ることであれば、どんなことでも助けになりうるということです。

あなたの外側の誰も、最高のボディワーカーでさえ、しばらくの間、楽しませてくれることはあっても、あなたをリラックスさせることはありません。ほとんどのニューエイジの世界は、ひとつのエンターティメントだと思います。さまざまな異なるセッションを受け、しばらくは興奮するけれど、まもなく興味がなくなり、内なる緊張は観られることのないまま、別のものを探す。ある意味では、多くの人は、内側を深く観るのを避けるためにセッションを受けているとも言えます。それより誰かに自分を見てもらって、何を言って欲しい。椎間板がずれているとか、女性性の問題だとか、自分のパワーを恐れているとか、あらゆるナンセンスを言うと、人々は喜んで大金を支払う。それが、今起きていることです。

ありのままに自分を受け入れる時 気持ちが良いと感じる

この記事を読んでいる人の中にも、あるセッションで本当に感動し、とても深い経験をしたことがあるという人がいるでしょう。どうしてセッションでハッピーを感じたのか、なぜその瞑想はそれほど平安であったのか、自分の内側を深く観る必要があります。気持ちが良いと感じる瞬間はありのままに自分を受け入れる時であり、何かを変えようとせず、ただエネルギーを感じ、感覚に触れて、内なるスペースと共にある時、リラクセーションはそこにあります。瞑想においては、物事がどうあるべきかを期待することなく、何が0起こっていてもあるがままのこの瞬間にいて、信頼することを学びます。自分を向上させることは役に立ちません。外側の世界では、役に立ちます。タイプを習っていたら、上達することは可能です。

私たちは絶えずより良くなろうと訓練されているので、内側の世界でも同じ努力が必要だと思ってしまいます。内なる世界は「誰よりも良くなろう」というような競争であるべきではありません。もし、競争心で内側の世界をみてしまったら、初めの一歩から誤った道の上にいます。その後、何をしても助けにはなりません。

タッチの動作に禅の精神を与える

ボディワークを考えてみた時、たくさんの美しいこともあるけれど、そこにいくつかの毒もあると感じます。タッチは滋養となり、愛をもたらし、身体をより気持ち良くさせることは、みんな知っていることです。しかし、私の興味は、たとえば、タッチの動作に日本人が茶道で行うような、あるいは華道が持つのと同じ調和の質、禅の精神を与えることはできないだろうかということです。唯一の可能性は、いかに期待なしに触れることが出来るかです。期待なしに触れることができたら、タッチはあなたをこの瞬間につれてくることができます。

呼吸を観ることもそうです。過去の呼吸も未来の呼吸も観ることはできません。瞬間から瞬間に起こる活動です。そして、あなたの思考やフィーリングのすべての変化を反映します。タッチもまた、瞬間瞬間に起こります。自分を信頼することを許し続けていくことができるなら、身体の中にある英知がどのようにタッチするのか、どこに、どれだけ深く触れるべきかを知っているのです。でも、いくも誰かが正しい触れ方は何なのかを自分に言ってくれるのを待って、外側をみつめているので、私たちは決して内なる英知をエクササイズすることがないままです。この知恵はまだ活性化されないまま、ボタンが押されていません。そして、そのボタンは内側からしか押すことができないのです。私が他の人にできることがあるとすれば、信頼がもっと容易に起こるスペースをゆるすことで、否定的な条件付けをいくらか取り除くことでできるだけです。

とても幸運なことに、私の人生において和尚と個人的な時間をたくさん持つことができました。彼は有り余る知恵と愛、経験の深みを持っている人ですが、その人でさえ、それを私に与えることはできません。内なる知恵はお金のようなものではないし、プレゼントのように、あなたにあげることはできません。せいぜい、あなたの内側にそれがあることを知らせ、それを見ることを信頼させることだけです。私はあなたに代わって観ることはできまないし、和尚は私に代わって観てはくれません。

最初はたぶん私も、彼が魔法の鍵を与えてくれるのではないかと望んでいたかもしれません。しかし、魔法の鍵はありません。自分自身を信頼しない限りは。あなたこそがあなたの人生の中で最も重要な人なのです。あなたの内なる世界においてあなた以上に重要な人はいません。唯一、本当に花が成長するのを助けるのは、自己を信頼すること、そして、内側にいる時間をもつことです。

瞑想―ゴールがないものと、タッチをひとつにする

コンシャスタッチで、あなたが試みようとしていることは何ですか?

アヌブッダ:
コンシャスタッチでは、これは正しい、これは間違っているとか、最初にこれをして、次にこれをするといった決まりを与えることはしないよう気をつけています。そうでないと、また内なる英知をエクササイズしないことになっていまいますから。たくさんの異なる方法を見せて、たくさんのアイディアを与えて、いろいろな内側を観るやり方を提供することをします。

内側を観ようとする時、最初は、他人の言ったことに自分の経験を較べるかもしれません。しかし、それは助けになりません。たとえば、チャクラの考えでいえば、チャクラについて何も知らないほうがましかもしれません。内側を感じてみれば、自分で何かを経験するときがあるかもしれない。もし、私が弟三チャクラには、何かあると言ったなら、助けになりません。でも、もし、時間をかけて、そのあたりを本当に感じてみたならば、自分で、なたにとってそれが何なのかを発見するでしょう。もし、信頼し続けたなら、瞬間ごとに、内なる新しい発見があるでしょう。

内側に入るとき興奮を求めてしまったなら、誤った道に入ってしまいます。時には、それは、何も起こらないことでもあるからです。ほとんど退屈だと言えるかも知れません。でも、それを良くないことだと言うなら、何かを見逃すことになります。そして、もっと興奮を望むのです。多くのボディワーカーたちはこの思考の犠牲者です。彼ら自身も興奮を求めるので、他人もそうだと思い、あなたのボディやマインドを興奮させるためにできる限りのあらゆることをし、興奮に満ちたセッションは良いセッションであり、あまりそうでないと良くないセッションだと思ってしまう。そうするとクライアンは欲求不満に感じ、何かお金を無駄にしたような気がして、セッションをした人も正しく出来なかったと感じてしまう。それでは、基本的なポイントを逃してしまいます。

すべての神秘家、あらゆる禅マスターが知っていること『生とはただあるがまま』。良くも、悪くもなくこうしたら良い、ああしたら悪いというというものではないということ。この微妙なポイントを指摘することが途方も無い喜びとなります。ですから、瞑想の経験がある人々とワークし、シェアしたいのです。なぜなら、彼らはそういった欲求不満を感じてきているので、理解することができます。彼らは、新しいテクニックにワクワクし、子ども時代のおもちゃのようにそのうち退屈し、そして、また探し始めることをしてきました。
一度和尚にセッションを与えることについて訪ねたことがあります。彼の答えはこうでした。『それが良いセッションなら良いし、悪いのであれば、すばらしい』彼は相手を喜ばせようというマインドの罠に落ちてしまわないように言い続けます。『あなた自身のボディへの愛を分かち合いなさい。気づきを分かち合いなさい。何かが起こればすばらしい。何も起こらなくてもOKだ』

たとえば、クンダリーニ瞑想をしていて、ある日素晴らしい経験をします。すると瞑想する度に素晴らしい経験ができると思ってしまう。と、すでに誤ったアイデアをもって瞑想することになるのです。どうあるべきかということを通して経験しようとするので、この瞬間を経験しようとするので、この瞬間を経験するチャンスがありません。それでは、私たちの内なる英知を鍛えることになりません。

瞑想―ゴールのないものと、タッチをひとつにするのはワクワクし、挑戦に満ちたものです。私は1994年から、日本で多くの人々がこの内なる英知と信頼することから恩恵を得ているのをみてきました。そして、他人に対して、自分にとって何が本当に正しいのかと尋ねない勇気をもつことです。自分自身の内側に聞き答えがきた時、それに応答していく勇気をもつことです。ですから、私たちがやっていることは自分を信頼するという途方も無い喜びなのです。自分を信頼すればするほど、私が人々と分かち合い、人々が私と分かち合うとき、私がちゃんとやっていないとか、もっとこうしたほうがいいとか、罪悪感を感じることなくお互いに広がっていくことができます。
お互いに分かち合い、そして、自分自身でいる
和尚コンシャスタッチの禅の道では、一方ではタッチを通して、内なる解剖学やリラクセーションや愛を通して本当にお互いに助け合い、分かち合い、もう一方では私たちは一人であること、内なる英知を信頼することを教えます。それは鳥の両翼のようなものです。お互い分かち合い、そして、自分自身でいる。それをまるで呼吸のように許していくこと、内側に入り、自分自身を感じ、そこから他の人と分かち合う。私たちはテクニックも理論にも興味をもちません。哲学でもありません。大地に根づいた人間のエネルギーへの愛です。これが日本で私が分かち合い続けていきたいことです。

トレーニングについて

アルーンでは、身体を新鮮な活力に満ちて生きるための方法やマインド・脳をよりクリエイティブにポジティブに活用する方法、そして、人生のあらゆる場面で瞬間ごとに自然なフィーリングのままに、繊細に対応していくことを学びます。

アルーンベーシックとアドバンストレーニングでは、コンシャスタッチや瞑想を通して、自分自身のエネルギーを変容するための多次元的な鍵を提供します。また同時に他の人々に創造的に働きかけ、分かち合うための技法も教えます。

唯一あなただけが、あなた自身のからだの責任を取ることができるのです。
責任という英語の言葉responsibilityの本来の意味はrespond(瞬間ごとに応答する)ability(能力)です。
からだがあなたに語りかける声を聞く必要があります。
アナーシャ曰く“生命があなたの扉をノックするのにまかせるように。
生命の脈うつ鼓動を受け取るために、あなたの感覚(知覚の扉)をクリーンにオープンにすることを学ぶように。
ものごとをシンプルなまま、深く見ていくなら、そして、自然に起こる生命エネルギー(緊張、恐怖や痛みも含む)を恐れないなら、アルーンコンシャスタッチは、健康、愛、そして瞑想のエッセンスを分かち合う道になります。

アルーントレーニングでは、“今ここにいる”質を深めていくことに強調点がおかれます。それは(良い悪いも)すべてを、あるがまま受け容れ、判断、分析、比較や期待なくオープンな静かなハートでこの瞬間にいることです。
今ここにいる、この瞬間、真正な生命が私たちの中を通って流れ、その神秘が明らかにされます。

このトレーニングは、自分のからだや人間のタッチに関するあなたの理解を根本的に変え、拡大することでしょう。
同時に深く自己を学ぶプロセスであり、内面を清める浄化であり、完結した和尚瞑想キャンプの体験になります。
アルーンは“相互に関わる瞑想”と呼ぶこともできます。与え手と同様に受け手も“今ここにいること”が重要な本質的要素になり、このことが、様々なボディワーク・テクニックの中でも、アルーンをユニークなものにしていると言えるでしょう。

プログラム―アルーンコンシャスタッチのアート

  1. とてもソフトなサイレントタッチ―自然な呼吸、心臓の鼓動、クラニオセイクラムシステムのオーシャニックブレスに焦点をあてる。
  2. 全身ボディマッサージ―リラクセーションと内側の静寂を促進。
  3. 動きとリズム、流動的タッチ―スパイナル・リバランシング、知覚神経の流れ、筋肉・骨格系の各関節に焦点をあてる。
  4. 深い圧、3次元的タッチ―タイヨガマッサージのエネルギーライン、インドタントラヨガ、ハラへの気づき、深層筋に焦点をあてる。
  5. メッタ、愛に満ちた優しさのタッチ―顔、頭、ハートチャクラ、分泌腺、各エネルギーセンターに焦点をあてる。
  6. 瞑想のタッチ―和尚ダイナミック瞑想、静かに座る、横になる瞑想、ガイドタッチ瞑想や内なる解剖学エクササイズは、何かを変えようとせず、内側を観ること、自分のままでいることの美しさを理解し認識する助けになります。健康、柔軟性、繊細さを促進するために、そして何よりも大切なのは、意識を拡大するための扉として、タッチを用いることを学びます。私たちは、リラックスし、目覚め、判断せずに、愛に満ちたタッチを分かち合うことでしょう。
  7. 毎日の瞑想(ダイナミック、クンダリーニ、ナダムラーマ、グリシャンカール、デババニ)、ヨガ、意識的動き(フェルデンクライス他)のエクササイズ、タイエネルギーエクササイズ、内なる解剖学、ダンス、セッションのシェアリング、野外でのエクササイズ、深いリラクゼーション、ヒーリング、そしてハートの沈黙の時を新しい友人たちと分かち合います。

和尚の言葉

OSHO.jpg
あなた自身のからだを感じたことがなかったら、他の人のからだを感じることはできない。
あなた自身のからだを愛したことがなかったら、他の人のからだを愛することはできない。
それは、不可能だ。
あなた自身のからだをケアしたことがなかったら、他の人のからだをケアすることはできない。
そして、誰もケアしていない。
あなたは、自分はケアしていると言うかもしれない。しかし私は、主張する。
ケアしている人など誰もいない。
たとえ、そうしているようでも、本当には、ケアしていない。
あなたは、他の別の理由でケアしているのだ。
他の人の意見や、他の人の目にどう見えるかを気にしているだけだ。
あなたは、決して自分自身のために、自分のからだをケアしたことがない。
自分のからだを愛したことがない。
そして、愛することができないなら、体の中にいることはできない。

あなたのからだを愛しなさい、そうすれば、今まで感じたことのないような休息を感じるだろう。
愛はくつろぎだ。愛があるとき、そこには、リラクセーションがある。